2012年11月25日日曜日

息子帰郷

連休を狙って息子が帰ってきた。学生時代を通じて滅多に帰ってこない我が子ではあるが、仕事から直行。夜中のバス停まで迎えに行った来た。
彼と話をしていると、かなり昔に私が持っていた仕事に対する思いや、考え、姿勢が若返って教えられる事が多い。
いつの日か仕事に追われ、責任が重圧となっていく中で忘れていたものがよみがえる。情けないが我が子の教えられる事が明日からの自分に役立つのは事実だ。彼も彼なりに苦労し、毎日東京のコンクリートジャングルの中で飛び回っているのだろうが、それでも明日の仕事に向けまた東京へ向けでかけていくのは何とも心強い。我が子に感謝の週末だった。

2012年10月28日日曜日

聖職の碑

言わずと知れた駒ヶ岳登山遭難事件だ。
大正2年中箕輪尋常高等小学校の生徒たちが37名駒ヶ岳登山を実施、11名の命が奪われた出来事。我々は映画で見た記憶があるが、彼らが駒ヶ岳に向け登りだした登山口が小黒川渓谷にある。南信から見れば伊那前岳の北側になるが、通常考える駒ヶ根菅の台からのルートではなく北側からのルートだ。箕輪町の郷土博物館で特別展として昨日から開かれている。妻と興味を引くものの一致する点だ。
個人的感覚ではその内容にも、その出来事にももう少し突っ込んで解説をと言う気がしないでもないが、この出来事を風化させてはいけなく感じる。
我々は大沢岳に登山を行ったが、登ったのは我々。だが多くの保護者や営林署の方の協力があって自己無くこうやって存在していることが30年近く経って分かるような気がする。
いずれにしてもきわめて日本人的な精神思考というか、退く勇気の大切さというか、何らかの教訓を後世に生きる我々に教えている気がする。

2012年10月14日日曜日

紅葉中休み

北信ではそろそろ里に下りてきている紅葉も、ここ南信ではまだまだ標高の高いところで留まっている。今日は南アルプスの稜線をおさえようと昨日から山行きを考えていたが、昨日と異なり朝日もまだらなはっきりしない天気だった。季節代わりを迎え中央・南アルプスの稜線が雲に覆われる事はなくなったが霞んだ光景が多くなってきた。これを過ぎると冬。空気が澄んでくっきり青空と稜線=スカイラインがはっきりするがその分冷え込みが厳しくなる。
その前に一年中で一番華やぐ紅葉を走らなければ、天気に左右されるが来週は北信から南へ紅葉を追いかける予定。未開の地へチャレンジの予定だ。

2012年10月7日日曜日

白駒にて

どこの出かける場所でもそうだが、カメラを構える、特に三脚を立てて立派なカメラで写真を撮る人たちのマナーは悪い。お金を払って入場している人たちには大変気の毒な事に邪魔者扱いされる。どれだけ自分の三脚が人の迷惑になっているのかはさておいて、自分の画像の中に他人が入ると罵声を浴びせる始末だ。特に、高齢化が進み歩行の困難な人たちにとって、通路を専用する三脚の邪魔さ加減が分かっていない。ひたすらカメラをセットして時を待つのも私は悪い事ではないと思うが、だからといって他人へ迷惑かける事が許されるわけでもはなく、共存できる余裕を持っていただきたいものだ。おじいさんがおばあさんの手を取って紅葉を見ているほのぼのとした情景の中、迷惑顔でそれを見ている人たちは自分のこれから通るであろう道が見えていないのだろう。誠に残念な状況だが、現実に行く場所それぞれでその光景に出会すの紛れもない事実だ。紅葉シーズンを迎え、妻と同じ時を過ごす私にとっては、そして写真も撮る私にとっては誠に悲しい現実だ。

2012年9月23日日曜日

あさま山荘

妻と軽井沢へ出かけた。最初は白糸の滝を撮りたくて単純に行く予定であったが、数日前にその話をしたところ、妻はあさま山荘の話をしていた。いろいろとweb上で調べたが、その正確な現場を押さえる事は難しく、比較的曖昧な場所表示が多かった。とにかく風化させてはいけない事件の一つ、妻と共通の記憶である。
帰って早速「突入せよ」のDVDを見たが確かに良くにている、と言うのも実際の事件現場と映画のロケ現場は異なるためにそのモノでのロケではない、しかしよく似ている。
ドキュメンタリー番組で何度か見てはいるがその内容ではなく、その現場の情景が私には大切で遠い白黒時代の厳しい寒さの中の出来事が我々夫婦にとっては共通の記憶だ。
まだまだひっそりと何度か訪れて四季を見てみたい現場、偶然で始まったこの事件の舞台がそこにある事が不思議な現象に何度か足を運んでみたい。

参照) http://wadanoko.blogspot.jp/2012/09/blog-post_23.html

2012年9月16日日曜日

35年ぶりの同窓会

この3連休は不運にも土日が仕事になり、たった1日のお休みになってしまった。それでも35年ぶりの同窓会はもう退職された恩師も来られ、是非参加したかった。35年ぶりとはいっても、私がそう記憶しているだけで思い出せば成人式も一緒だったし、そこそこ集まってはいたのかもしれない。

とうてい開始時刻には間に合うこともなく、遅れで参加した。もちろん皆が参加している訳ではないが懐かしいというよりは、老けた男女が揃っていた。一昨年退職された恩師は、私の小中高大を通じてたった一人恩師と呼べる存在で、今日の私があるのは彼のおかげだと思っている。その思いは未だに残っていて私の興味を引くものはその影響が大きい。もう我が子が独立している歳になって、十分保護者の立場で教師ともつきあってきたが、この恩師を今振り返るとけして上から目線でなく対等で彼が言いたいことをいう替わりに、私もいいたいことをいっていたし、それだけにお互い一緒に育った気もする。これが聖職たる教師の姿だと私は思っているし、そしてその時間が私の一番の宝物なのかもしれない。

卒業時のタイムカプセルが会場にあったが、それは卒業10年であけられるものでどうなったのか?気にはなっていたが改めて見てみると私の言葉は「確実な力」だった。これは記憶にない。
その恩師は胃ガンで3/4切除したそうでその当時の面影のまま、太る様子もなく少々元気のなさが気になった。

そろそろ孫を持ち出す年代の我々、しかしながら当時の性格は皆そのまま、それぞれがその性格で社会に存在しているが人が変わるということは滅多にないこと、そして皆それぞれ独特の世界を持っている事がこの歳になって初めてわかった気がする。遅れた分十分話をしたかった人たちと話をできなかったが、今後またこの集いが開かれることに期待する。古き友とはいろんな思い出があるが、やはり良い存在だ。

2012年9月9日日曜日

下栗の里

妻と半場亭の芋田楽を食べた。まだまだ開店間際の半場亭では昼食というわけにも行かず、ほんのお茶程度に二人分お願いした。私は子供の頃からこの下栗芋を炭火で焼き、ねぎ味噌をつけて食べて育ったので全く抵抗なく、そしてまた皮さえもむいてないそのままの小芋独特の臭いと味がたまらなく幼少期に記憶を戻させ、祖母の顔などが思い出される。今では下栗の里などと言って遠く他県からもやってくるが、まだ道が無く車で行く事ができなかった時代に徒歩でここへ来た時など何とも自然の恵みもので食事をとっていた時代が懐かしい。自分のルーツを改めて知らなければならない重要さを痛感した芋田楽だった。