妻と軽井沢へ出かけた。最初は白糸の滝を撮りたくて単純に行く予定であったが、数日前にその話をしたところ、妻はあさま山荘の話をしていた。いろいろとweb上で調べたが、その正確な現場を押さえる事は難しく、比較的曖昧な場所表示が多かった。とにかく風化させてはいけない事件の一つ、妻と共通の記憶である。
帰って早速「突入せよ」のDVDを見たが確かに良くにている、と言うのも実際の事件現場と映画のロケ現場は異なるためにそのモノでのロケではない、しかしよく似ている。
ドキュメンタリー番組で何度か見てはいるがその内容ではなく、その現場の情景が私には大切で遠い白黒時代の厳しい寒さの中の出来事が我々夫婦にとっては共通の記憶だ。
まだまだひっそりと何度か訪れて四季を見てみたい現場、偶然で始まったこの事件の舞台がそこにある事が不思議な現象に何度か足を運んでみたい。
参照) http://wadanoko.blogspot.jp/2012/09/blog-post_23.html
2012年9月23日日曜日
2012年9月16日日曜日
35年ぶりの同窓会
この3連休は不運にも土日が仕事になり、たった1日のお休みになってしまった。それでも35年ぶりの同窓会はもう退職された恩師も来られ、是非参加したかった。35年ぶりとはいっても、私がそう記憶しているだけで思い出せば成人式も一緒だったし、そこそこ集まってはいたのかもしれない。
とうてい開始時刻には間に合うこともなく、遅れで参加した。もちろん皆が参加している訳ではないが懐かしいというよりは、老けた男女が揃っていた。一昨年退職された恩師は、私の小中高大を通じてたった一人恩師と呼べる存在で、今日の私があるのは彼のおかげだと思っている。その思いは未だに残っていて私の興味を引くものはその影響が大きい。もう我が子が独立している歳になって、十分保護者の立場で教師ともつきあってきたが、この恩師を今振り返るとけして上から目線でなく対等で彼が言いたいことをいう替わりに、私もいいたいことをいっていたし、それだけにお互い一緒に育った気もする。これが聖職たる教師の姿だと私は思っているし、そしてその時間が私の一番の宝物なのかもしれない。
卒業時のタイムカプセルが会場にあったが、それは卒業10年であけられるものでどうなったのか?気にはなっていたが改めて見てみると私の言葉は「確実な力」だった。これは記憶にない。
その恩師は胃ガンで3/4切除したそうでその当時の面影のまま、太る様子もなく少々元気のなさが気になった。
そろそろ孫を持ち出す年代の我々、しかしながら当時の性格は皆そのまま、それぞれがその性格で社会に存在しているが人が変わるということは滅多にないこと、そして皆それぞれ独特の世界を持っている事がこの歳になって初めてわかった気がする。遅れた分十分話をしたかった人たちと話をできなかったが、今後またこの集いが開かれることに期待する。古き友とはいろんな思い出があるが、やはり良い存在だ。
とうてい開始時刻には間に合うこともなく、遅れで参加した。もちろん皆が参加している訳ではないが懐かしいというよりは、老けた男女が揃っていた。一昨年退職された恩師は、私の小中高大を通じてたった一人恩師と呼べる存在で、今日の私があるのは彼のおかげだと思っている。その思いは未だに残っていて私の興味を引くものはその影響が大きい。もう我が子が独立している歳になって、十分保護者の立場で教師ともつきあってきたが、この恩師を今振り返るとけして上から目線でなく対等で彼が言いたいことをいう替わりに、私もいいたいことをいっていたし、それだけにお互い一緒に育った気もする。これが聖職たる教師の姿だと私は思っているし、そしてその時間が私の一番の宝物なのかもしれない。
卒業時のタイムカプセルが会場にあったが、それは卒業10年であけられるものでどうなったのか?気にはなっていたが改めて見てみると私の言葉は「確実な力」だった。これは記憶にない。
その恩師は胃ガンで3/4切除したそうでその当時の面影のまま、太る様子もなく少々元気のなさが気になった。
そろそろ孫を持ち出す年代の我々、しかしながら当時の性格は皆そのまま、それぞれがその性格で社会に存在しているが人が変わるということは滅多にないこと、そして皆それぞれ独特の世界を持っている事がこの歳になって初めてわかった気がする。遅れた分十分話をしたかった人たちと話をできなかったが、今後またこの集いが開かれることに期待する。古き友とはいろんな思い出があるが、やはり良い存在だ。
2012年9月9日日曜日
下栗の里
妻と半場亭の芋田楽を食べた。まだまだ開店間際の半場亭では昼食というわけにも行かず、ほんのお茶程度に二人分お願いした。私は子供の頃からこの下栗芋を炭火で焼き、ねぎ味噌をつけて食べて育ったので全く抵抗なく、そしてまた皮さえもむいてないそのままの小芋独特の臭いと味がたまらなく幼少期に記憶を戻させ、祖母の顔などが思い出される。今では下栗の里などと言って遠く他県からもやってくるが、まだ道が無く車で行く事ができなかった時代に徒歩でここへ来た時など何とも自然の恵みもので食事をとっていた時代が懐かしい。自分のルーツを改めて知らなければならない重要さを痛感した芋田楽だった。
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